コラム4

モティーフという考え方
〜シャルルと鑑定医シャルル

注:このコラムを読まれる方は、鑑定医シャルルシリーズよりも先にマリナシリーズを読んでいるということを前提にしています。


皆さんに質問します。
マリナシリーズに登場するシャルルドゥアルディと鑑定医シャルルシリーズの主人公
シャルルドゥアルディは同一人物だ
と思いますか。

さらに質問します。
『愛の迷宮で抱きしめて!』のシャルルとマリナシリーズ後期(『愛をするアンテロス』や
『愛をするフォリー』など)の作品中のシャルルは同一人物だと思いますか?


このコラムを書いている2008年(平成19年)12月現在、ネット上のひとみ関連のサイト様(ブログ含)
の中には、シャルル×マリナのお話を創作されているところが沢山あります。
そういうサイト様を訪れると、私はふと、上記の疑問に突き当たります。
念のため言っておきますが、シャルマリを否定しているわけではありません。現に毎日のように
訪れては、素敵なお話に読みふけっているサイト様もあるのですから。
改めてシャルルについて考えるきっかけとなっただけですので、気を悪くなさらないで下さい。
さて、上記の質問に対する私の答えはこうです。
確かに、二人はシャルルドゥアルディという名であり、同一人物と言える。
しかし、仮にマリナシリーズが続いてシャルルが歳を重ねたとしても、鑑定医シャルルには
決してならない。
二次創作を含めて創作活動を少しでもされた方には、わかってもらえると期待するのですが。
創作活動をしている人は、自分のなかに、いくつかのキャラクターが常に存在しているのでは
ないでしょうか。
そして話を書くときに、新しいキャラクターを生み出したり、またキャラクターの引き出しを開けて、
温め続けたキャラクターを登場させたりして、話を進めていっているのではないでしょうか。
同様にひとみ先生にとっても、シャルルというのは先生の中のキャラクターの引き出しに大切に保管してある
キャラクターなのだと思っています。
さて、私の導き出した答え、“マリナシリーズが続いたとしても鑑定医シャルルにはならない”。
この考え方の基礎となるキィワードがあります。
−キャラクターの一人歩き−
この言葉は、何度かひとみ先生のエッセーやあとがきの中で使われたことばです。

先の質問に帰ります。
[『愛の迷宮で抱きしめて!』のシャルルと後期作品のシャルルは同一人物か]
もちろん二人は同一人物です。
ですが、迷宮のシャルルは他の作品の彼と比較しても、随分違っているように感じます。
例えば、アルディ家を訪問した際のシャルルへの面会方法です。
『愛と哀しみのフーガ』の作品中において、シャルルに会うために和矢とマリナは番号札を渡され、
待合室にて延々と待たされます。
このアルディの制度は、後に『愛をするアンテロス』においても同じシーンが出てきます。
しかし、『愛の迷宮で抱きしめて!』においてはそのような記述はありません。

また、シャルルが他の医者を信用していないことはシリーズを読んでいれば、よくわかります。
『愛をするアンテロス』の作品中においては、自分で自分の手術(しかも開腹と思われる)を
やってのけるほど。
それはもう恐ろしく人間離れした技です。まさしく、小説の中でしかありえません。
手に刺さった棘を抜くのとは訳が違います。
しかし、『愛の迷宮で抱きしめて!』の中ではシャンボール上から飛び降りた際のケガの治療を、
大人しく病院で受けた上に入院しています。


以上のことは、何を物語っているのでしょうか。


もともと、ひとみ先生のなかにあったシャルルドゥアルディというキャラクターが、話を進めていく中で、
徐々に変化していることを示しています。
物語の進行上の都合、編集部やファンの意見や希望などの外的要素、またひとみ先生自身の
シャルルというキャラクターに対する考え方など、さまざまな要因によってシャルルは変化していった
のだと考えます。
これこそキャラクターの一人歩きです。


反対に言えば、後期の作品中のシャルルは、もともとひとみ先生のキャラクターの引き出しにあった
シャルルとは違った存在になっているのではないでしょうか。


『ひとみ愛ランド』のなかで、ひとみ先生はこのような話もされています。
シャルルとカークはもともと相棒だった、と。
どのようなシーンをイメージされていたのかはわかりかねますが、それもひとつのネタとして先生の中に
あったのでしょう。
しかし、彼らは相棒としては出会うことはありませんでした。



では、鑑定医シリーズとマリナシリーズのシャルルはどうでしょうか?
共通点は、沢山あります。
いえ、シャルルという人物像を構成する重要なポイントは、二人(?)とも抑えています。
だからこそ、二人ともシャルルで有り得るのですから。

まず、シャルルは天才だということです。
マリナシリーズのように実在しようもない全ての分野にまたがった大天才か、鑑定医シリーズのように
鑑定医もしくは犯罪心理学者としての天才かはともかくとして。
そして、数人をおいてほかに彼を理解してくれる人がおらず孤独だということ、母親の影を追い求めて
いる点、名の示すとおり旧貴族であり金持ちだということなど。

そういった“シャルルドゥアルディ”を構成する重要なポイントは共通しているのです。

しかしマリナシリーズのシャルルを思い浮かべると、『愛は甘美なパラドクス』で日本を離れた後、
娼館に身を寄せるとは考えられません。
どこまでもストイックな彼は、もし自分の激情を理性で抑えることができないならば死を選ぶくらいの
潔癖ささえ持っていることでしょう。
アルディの当主争いをした身で、ただの鑑定医をしていられるはずもありません。
日本人から見ても、せいぜい15,6歳にしか見えない風貌で、声変わりもしていない
18歳のシャルルが、23歳までに声変わりするでしょうか。
拷問の後でさえシャワーをせずに居られないシャルルが、朝起きられないという理由で、前日と同じ
スーツのままソファで眠るでしょうか。
有り得ません。
そう考えると、まったく同じ人物とも言い切れないのです。



少し話が変わりますが、シャルルはどういう存在なのでしょうか。
様々なキャラクターがいるなかでも、ひとみ先生にとってシャルルというキャラクターは特別なのでは
ないでしょうか。
きっと、書かずには居られないのです。
ひとみ先生に失礼なことを申せば、もしかしたら、拠りどころなのかもしれません。
少女向けのコバルト(他)から、一般書に活躍の場を移すなかで、ひとみ先生はもしかしたら、
シャルルという特別な存在を書くことで、何かしらの安心を得たかったのかもしれません。

ところが、マリナシリーズのシャルルの設定では、一般書としては成り立ちません。

そこで、もう一度自分自身のなかにあったシャルルの原点を見つめなおし、新たに鑑定医シャルルを
育て上げたのではないでしょうか。
だからこそ、マリナシリーズの中からただひとり、カークのみの名前が挙がるのではないでしょうか。
かつて相棒として生まれたキャラクターだから。


ひとつのじゃがいもからいくつもの芽が出て伸びるように、シャルルドゥアルディというキャラクターも
また、1つの芽しかないのではなく、幾つかの芽を出し、それぞれに伸びていくのではないかと。

それを私はモティーフだと呼ぶのです。
どうでしょうか、このような考え方は。
皆様の意見とは相容れないでしょうか。


ひとみ先生はファンクラブの集いでいつかおっしゃいました。
−自分のなかのシャルル熱が高まっている。鑑定医シリーズを書きたいけれど、編集部と折り合いがつかない。
それは、丁度『歓びの娘』が舞台化された年です。
先生は、舞台化されたことで触発されたように話されたのですが、私は少し違ったのではないかと
思います。
シャルル熱が高まっていたからこそ、舞台化を許可されたし、舞台化されたからシャルル熱は
収まったのではないかと。

そして、こうも思うのです。
おそらく、おそらく二度と、マリナシリーズが再開されることはないでしょう。
鑑定医シリーズ4弾が発売されることもないかもしれない。

けれど、ひとみ先生はまたいずれ、シャルルを書かずにはいられないに違いない。
だから、マリナシリーズではないけれど、鑑定医シャルルでもないかもしれないけれど、また新たな
シャルルに私達は触れることができるに違いないと。
私は希望を持たずにはいられないのです。

新たなモティーフの誕生です。


マリナシリーズの再開を願ってやまないことは事実です。
反面、少し諦めてもいます。

でも、シャルルだけは諦める気にならない。
新たなモティーフが作られる可能性は、まだまだ残っているからです。
私はひたすらにひとみ先生のシャルル熱が高まるのを願わずにいられません。


そのような願いを常に心の中に抱き、私はマリナシリーズのシャルルも、鑑定医シリーズの
シャルルも、同じように愛し、憧れ、大切な存在として心に留めるのです。


できればシャルルファンの皆様には、鑑定医とマリナシリーズのシャルルの相違点については、
深く突っ込まずに暖かく見守ってあげて欲しいのです。
そうして、皆で新しいシャルルの登場をまとうではありませんか。


ひとみ先生を愛するシャルルファンの一員として。




でもでも、マリナシリーズ愛読者としては…。
シャルルの脳内変質細胞群(だっけ?)の原因は、『シャルルの愛する夜想曲』で頭を打たれたのが原因なのかしら。
だって、脳内変質細胞群は脳の傷が原因のこともあるって書いてあったし。それって、伏線ですか、とか。
鑑定医シリーズしか知らない皆さん、輝ける青春の時代に、シャルルがファムファタルだと愛したのは池田麻里奈という
日本人なんですよ、とか。
ちょぴっと登場するカークは日系アメリカ人でね、アーモンド色の髪をしていてね、とか教えてあげたくなったり…。
することも事実です。
幼稚でゴメンなさい。ひとみ先生。




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