コラム6 : 冷泉寺さんの強さと薫の弱み






     マリナシリーズの薫と銀バラシリーズの冷泉寺さんはしばしば、同一視されて語られることがあるように感じます。
     しかし、私の中で二人は似ているようで、その実、全く異なっているのではないかと思うことが多々あります。
     その二人の相違点について、考えてみたいと思います。




     まず、二人には決して同一視できない大きな相違点があります。
     それは薫があえて男性として振舞っている“男装の麗人”に対して、冷泉寺さんは見ようによっては男の子に見えるだけの、
     ただの“ボーイッシュな女の子”だということです。

     これは主人公と二人の関係が、親友であるか恋敵であるかの違いにより、たとえ冷泉寺さんに薫と同じような“ターニングポイント”が
     あったにせよ、冷泉寺さんのそれを、ユメミに原作中で語らせるわけにはいかないということもあるでしょう。

     しかし表面的に原作から読みとれる二人は、上記の通り“男装の麗人”と“ボーイッシュな女の子”ということです。
     これは二人を同一視しない私の考えに置いて、とても重要なポイントです。

     そして何よりも違うのは、その“強さ”だと思うのです。


     二人は、強くて脆い


     それは共通していることだと思います。
     一見、大雑把なようで、大胆なようで、誰よりも繊細なところを持ち合わせている。
     この点に関しては、同じような立場で二人は描かれています。

     ですが、冷泉寺さんは強いし、薫は弱い。

     私はそう思います。


     二人を同一視させているのは、二人とも叶わない恋をしているという点です。
     ひとみ先生のテーマとも思われる、報われない恋。
     二人とも、してはいけない恋に悩み、苦しみ、もがいています。

     ですが、本当にそれはしてはいけない恋なのでしょうか?

     確かに薫の場合は相手が血の繋がった兄であるために、してはいけない恋と言っていいでしょう。
     本人にその自覚もあり、世間一般でもやはり兄妹間の恋愛はタブーなのです。

     では、冷泉寺さんの場合は本当にしてはいけない恋だったのでしょうか?
     叶わない恋=してはいけない恋ではありません。
     片思いはいつだって自由なのです。

     叶わない、してはいけない恋の相手は、言うまでもなく銀のバラ騎士団総帥 
     聖樹・レオンハルト・ローゼンハイム・ミカエリス・鈴影。
     彼女は、自分が恋したときには既に彼が総帥を目指していたので、してはいけない恋であり、悟られてもいけないと
     言っていました。


     しかし、本当にそうでしょうか?

     何度も言いますが、叶わない恋でも、恋することは自由です。
     冷泉寺さんは、レオンハルトが恋をタブーとする総帥位を目指していたために、恋をしてはいけないのだと
     言っています。
     でも、そのタブーは銀のバラ騎士団という秘密結社内の規則に過ぎず、しかもその時点では総帥になれるかどうかも
     わからないのです。
     つまるところ、レオンハルトが総帥になれなかったら、冷泉寺さんの恋は叶うかもしれなかったのです。

     言ってしまえば、騎士団内部で総帥の立場にあるレオンハルトに恋をすることはタブーであっても、世間一般的に見れば、
     幼馴染の彼に恋することは、なんら問題はないのです。
     さらに突き詰めて言えば、その時点で冷泉寺さんは“銀のバラ騎士団”の総裁の四誓願を知っていたとは思えません。
     レオンハルトにとって、幼馴染である冷泉寺さんに対してさえ、秘密結社である騎士団の存在は知られていはいけない
     はずなので。

     となれば、単純に冷泉寺さんはミカエリス家の総帥、当主になるための訓練の邪魔になる、という意味で
     彼に恋してはいけないと思っていただけではないでしょうか?
     だとすれば、一般論として、彼女の恋はしてはいけない恋などではないはずで、1つ年上のパーフェクトな幼馴染への
     片思いはむしろ当然の結果と言えるのではないでしょうか。


     その点において、冷泉寺さんと薫には決定的な差があるのです。
     そう、冷泉寺さんの恋は、ありふれた恋であり、その恋をする自分自身を責める必要など一つもないものなのです。

     それでも、ある種潔癖なところを持つ冷泉寺さんは、少女ながらも考えたようであります。
     彼を好きになってはいけない、そのための自分をどのように確立するか。


     それは、“神”を崇める彼自身をも否定することになりかねない“科学”を勉強することした。
     彼女は恋を否定する拠りどころとして、彼と相対する勉学を採りました。
     思惑通り、彼女は時に恋の相手であるレオンハルトに対し、科学の名のもとに彼の意見を否定することさえあります。
     本人も“自分の考え方の基盤になっている”と原作内で言っています。

     人間、誰しも何かに興味を抱き、心底それに打ち込めば、周りのことは目に入らないものです。
     彼女は“研究”の元に、レオンハルトさえ目に入らない日が来るかもしれない。

     それは、彼女の強みでもあります。

     また空手も彼女の見方です。
     精神が病むと、身体もまた病みます。逆もしかり。
     しかし空手をすることによって身体を動かし、鍛え、発散することにより、精神の鬱屈もまた、発散することが
     できるのではないのでしょうか。

     そう。
     冷泉寺さんは、レオンハルトの恋が叶わなかったとしても、そのときの拠りどころを自分自身で切り開いていたのです。


     では、薫はどうでしょうか?

     冷泉寺さんとは違い、近親相姦と言うタブーを犯さないために薫が選んだ道は“女である自分を捨てること”でした。
     しかし、到底それは成功したとは思えません。
     なぜならば、他人から見た薫がどれ程男性的であり、女を捨てることができていたとしても、結局のところ彼女は恋心を
     断ち切ることが出来なかったからです。
     男性のようにふるまっているだけで、薫はあらゆる意味で女性なのです。
     対外的にも、内面的にも、何ら解決にはなりません。

     そして何より彼女の弱みは、逃げ道がないところです。

     冷泉寺さんには、科学と空手がある。
     では、薫にはなにがあるというのでしょうか。

     薫にはヴァイオリンがあります。
     巽さんは、“ヴァイオリンは人生を賭すに値するものだ”と言っています。
     その通りに、ヴァイオリンは彼女を夢中にさせるものとなっています。
     しかし、ヴァイオリンは思いを寄せる巽さんから教わったものであり、薫はヴァイオリンを手にすることにより、
     また巽さんのところへ還ってしまうのです。
     ヴァイオリンは巽さんにつながっているのです。

     冷泉寺さんの空手に対し、薫にはアルコールもあります。
     薫はお酒を手にすると、陽気になっているように感じられます。
     陽気に、饒舌に。
     しかしどんなに陽気なふりをしたって、結局その最中でさえ、薫は苦しみを忘れることが出来ていません。
     『愛よいま風にかえれ』でマリナ相手に酒器のコレクションを披露したかと思えば、すぐ後には切なく巽さんへの思いを
     語って見せます。
     『愛いっぱいのミステリー』で陽気に電話をかけてきたと思えば、最後には巽さんの行く末をさりげなくつぶやく。
     その上彼女は心臓に病を抱えており、飲酒は身体を痛めつける結果にしかならず、何の逃げ道にさえもなっていないのです。


     恋してはいけない実兄の巽さんに恋をし、思いを断ち切ろうとしても断ち切れず、一切を忘れて夢中になれるものは
     ヴァイオリンであり、結局は巽さんに繋がっているのです。

     逃げ道がない。
     それが薫の弱さです。

     もう一つ挙げるなら、相手との年齢差、立場の差もあります。

     薫にとって、巽さんは実兄です。
     昔とは違うと言っても、長子は末子からみて敬うべき存在でもあります。
     さらにどんなに小さく見積もっても、年齢差は6歳以上。
     年齢を重ねれば、あるいは6歳の差など些細なものかもしれません。80歳と86歳にどれほどの差があるでしょうか。
     しかし、17歳と23歳では大きな違いがあります。
     まだ保護者の庇護を受ける年齢である薫と、すでに社会人として自身を確立している巽さんの間にある6歳の差は
     余りにも大きいものです。
     そういう意味では、薫は巽さんの影響を受ける立場にあるのです。
     ヴァイオリンにおいても師弟関係にあり、薫は常に巽さんから影響を受け続ける立場なのです。

     その点、冷泉寺さんとレオンハルトの年齢差は1歳。
     現在は同じ高校生ということにおいては、冷泉寺さんだけがレオンハルトから影響を受け続ける立場ではないはずです。
     医学の分野においては、むしろ圧倒的に冷泉寺さんの知識がレオンハルトを上回っており、彼自身は手当を受けるという形で
     冷泉寺さんの言い分を聞く、下に置かれる状況もありました。

     そういう意味においても、冷泉寺さんの立場は強いのです。



     気になる点は、もう一つあります。原作内での扱われ方です。

     先にもあげましたが、シリーズが違い、何よりも主人公との関係性が大きく違うことから、一概に横に並べて比較することは
     できません。
     しかしその点を考慮してなお、冷泉寺さんと薫の扱いはかなり違っていると思われます。


     何が違うか。

     それも、やはり薫の弱さを強調しているように思います。

     薫の弱さは、そのまま薫の他者への依存度の高さに現れている気がします。

     冷泉寺さんはその能力の高さや総帥たるレオンハルトと幼馴染であるということから、銀バラのメンバーのなかでは、
     常にリーダー的存在です。

     また、彼らよりも上、指導的な立場にあたる脇役(ゲストキャラ)があっても、冷泉寺さんは常に対等にあろうとする、
     もしくは尊敬はしても、それは自分がこうであり、相手がこうで、だから、自分は相手を尊敬している…といった冷静な
     判断があるように思います。
     ユメミが火狩さんに恋に近い感情を持っても、冷泉寺さんが持つことはありませんでした。
     ガルシアに自分の身体能力が劣っていることを認めても、それはただの事実として受け止めているように感じます。

     番外編で彼女に恋愛要素を絡めた『白鷹どりーむ』でさえ、どちらかといえば冷泉寺さんが恋をしたというよりは、
     相手が冷泉寺さんに恋愛感情を持ったという描かれ方です。

     冷泉寺さんは、確固たる自分を持っています。


     薫はどうでしょうか。


     原作内での異性とのかかわり方が気になります。


     もっとも気になるのは『愛よいま風にかえれ』の瀬木貴興氏。

     瀬木さんは薫を殺そうとした犯人、という結末でした。
     瀬木さんの薫に対する優しさや、暖かさはすべて彼女を懐柔させるための手段でしかありませんでした。

     しかし、明らかに薫は瀬木さんを信用し頼っていました。
     瀬木さんが作中で放った発言のこともあり、薫は瀬木さんに巽さんを重ねていたということもあるでしょう。

     そのことからも、恋にかなり近い形で薫は瀬木さんを見ていたのではないでしょうか。
     自分を見せない薫が、瀬木さんの前では己をさらけ出しているように感じます。



     この瀬木さんに対する薫の気持ちは、大変にわかりやすい形で書かれています。
     というのも、薫が瀬木さんを信頼して頼れば頼るほど、瀬木さんのいうように裏切りに意味が生まれ、
     物語が面白くなるからです。
     だから、とてもわかりやすい形で書かれています。


     しかし、マリナシリーズ全体においても、薫の扱われ方は冷泉寺さんとは違います。
     シャルルを除けば、みな同学年。
     それでも薫には心臓疾患があり、必ずと言っていいほど、男性キャラの前で発作に倒れます。

     どのキャラの前でも薫は庇護されるべき存在なのです。

     しかも薫自身、発作時に差しのべられた手を拒んでいる様子はなく、和矢の胸を借りて涙をこぼしてみたり、
     ガイの前ではついに自分を保つことができませんでした。
     見ようによっては、他人に依存しているようにも見えます。
     薫は指導的立場にある男性に根本的に弱く、依存しているようにさえ感じるのです。

     それは、冷泉寺さんには絶対にないことでした。



     以上のことから、私は薫と冷泉寺さんの間には絶対的な相違があると見ています。
     冷泉寺さんを扱った二次創作もありますが、薫の創作とは意図して違った雰囲気にしています。

     念のため最後に付け加えますが、冷泉寺さんにも絶対的な強さがあるとは思っていません。
     彼女は彼女でとても脆い一面を持っていると思います。

     どちらも大好きなキャラです。

     二人には、運命に打ち勝ち、ぜひ幸せになってもらいたいです。





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