〜あとがき〜



まずはじめにおことわり申し上げます。
私は体内埋め込み型の補助人工心臓とは、心臓の動きをサポートし、ペースメーカーのように半永久的に使えるものだと思っていました。
が、現状においてはそこまで技術が発達していないことを、今回、この話を書くに至って初めて知りました。
まだ補助人工心臓は、心臓移植を待つ間、一時的に使用するものという考え方のようです。

しかし、私の創作内では、私の当初の予想のような半永久的に使用できるものにさせていただいています。
現実とは異なりますのが、あくまで小説内…しかも二次創作内のものとご了承ください。

いつか、そのような人工心臓が開発されることを願っています。


また、同じく薫の拒絶反応の症状についても、現実の拒絶反応の症状とは異なります。
私が創作内で、都合のいいようにさせていただきました。

どうぞ現実とは違うということをご了承ください。

続いて、薫の人工心臓の移植時期についてです。

シャルルは、『愛は甘美なパラドクス』で薫の症状を確認した際にこのように言っています。
『これじゃ、あの人工心臓は役に立たない』と。そして、心筋破裂の治療としては、破れた部分を外科的に縫い合わせるだけだと言っています。

役に立たない人工心臓を移植しても、意味がありません。
となると、このときに補助人工心臓は移植しなかったのでしょうか?

しかし、シャルルはこうも言っています。

『しばらくの間はGVHDや拒絶反応等がおこるだろうし…』と。

もし、人工心臓の移植をしていなければ、これらの反応が起こることはないと思うので、やはり人工心臓は移植したのでしょうか。


ナゾです。
謎というか、はっきりと矛盾してる気さえします。

ナゾはナゾのまま、矛盾については軽やかにスルーして、私はこのときには移植をせずに、心筋破裂および心筋梗塞の手術のみを行い、
改めて人工心臓の移植を行ったと仮定し、創作いたしました。

どうぞ、お含みおきくださいませ。




この話は、ほぼ和矢の一人称にて仕上げています。
全体的には、やはり薫メインのお話ではあるのですが、そのメインであるはずの薫の一人称やもしくは三人称ではなく、
和矢というフィルターを通して見ることで、何かしら、和矢へのイメージ、薫やシャルルの孤独などを引き立てることが出来たなら、
と思って、和矢の一人称を選びました。


原作では個性がないなどと言われることもありますが、やはり和矢は和矢です。
全体を包み込むようでいて、厚かましくない、相手にとって最も心地いいと思われる関わり方をすることができる、唯一のキャラかもしれません。


本当に、薫のこともシャルルのことも大事に思って、二人のことをよく理解しているのだと思います。


ただ、1点だけ。
ただ、どうしても1点だけ、彼が理解しきれていないことがあるとするならば。

和矢が思うより、きっと薫の孤独は深い。


1で、コンサートの直後に倒れた薫を評して、和矢はこういいます。まるで、満開の桜のようだ、と。
儚いものの象徴ですね。
あの幻想的な花の盛りを見られるのは、ほんの一週間ほどなのですから。
しかし、本当にそうでしょうか?

対して、シャルルは薫についてこう思うのです。

切り花をうらやましいと思うのだろうか、と。


答えは、私にもわかりません。
薫だけが知っている。

でも、きっと満開の桜よりは、切り花のほうが薫に似合う。


なぜなら、桜はきっと来年も咲く。
今年散った桜も、来年の春にはまた満開の花で人を魅了することができる。
桜の命は永い。

しかし、切り花はどうでしょうか?
水揚げのいいお花を、低めの気温で、手入れをしさえすれば、10日以上綺麗な姿を見せてくれるでしょう。
でも、それだけです。
再生は、しない。
いつか、とても近い未来に、必ず花弁を散らせ、萎れてしまう。

そんな切り花が、しかも水揚げの悪い薔薇の切り花に、シャルルは薫を重ねて見る。

それこそが、薫の本質なのかもしれない。その本質はシャルルと重なる部分があるのではないでしょうか?
そして、きっと和矢にはないのではないでしょうか?
和矢には強さがある。



そんなことも考えながら、書いてみました。




最後になりましたが。

第3話で使用させていただいたシャンパーニュについて、私の厚顔なお願いを快諾し、
シャンパーニュについて教えてくださった碧さまに、深くお礼申し上げます。


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