いもうと



私は、そうして、柔らかい髪を撫でた………。



私はずっと前から知っていた。
年下の彼女が、叶わぬ恋をしていることを。
そして、彼女がとても苦しんでいることを。

それでもプライドの高い彼女が、私などを頼ることがあるはずもなく、ただ
哀しげな瞳のまま無理に笑う彼女を見ていることしかできなかった。



その昔、無邪気な笑いが浮かんでいたふくよかな頬。
自由気侭に表情を映した猫のような大きく澄んだ瞳。
勝気な言葉を紡ぐ紅を含んだ花びらのような唇。



いつしかそれらは、造った笑みをのせ、澄んだ瞳は憂いに満ち、その唇から
本心が語られることは無くなった。

その変化に気付いてもまだ、私は彼女を見ていることしかできなかった。
10歳も年上だったのに。
彼女がまだ、まともに喋れないほど子供だった頃から、一緒にいたのに。





私はあの日の衝撃を忘れない。





バイオリン教室へ行った。
その時は、既に私は生徒ではなく、なりたての講師だった。
入り口を入って、形ばかりの小さな衝立の向こうに、長身の彼女の頭が見えた。
くるりと衝立を回った。
挨拶をするために、いつものように。

けれど、こんにちはと言うはずだったのに。
ふいに言葉は失われて、息をすることも忘れた。


なぜ、そんなことをしてしまったの………。

私の気配に気付いて振り返って。
その美しい顔に浮かんだのは、笑顔だった。
何かを吹っ切ろうとして行動を起こした晴れやかさと、それでもまだ、
思い切れなかった哀しみが混在した、狂気の笑み。


「こんにちは」
代わりに彼女が挨拶をした。
「こんにちは」
挨拶を返した。
心が痛んだ。誰にも話そうとしない彼女のプライドに。
涙が出た。

「何、泣いてるんだい?皆が見てるぜ?」


まるで彼女からは想像できないことばが生まれて、空気を振動させる。
ああ、そうだったの。
もうあなたはあなたではなかったのね。

生まれ代わった彼女を慈しもうと思った。
庇ってやれなかった彼女の分も。

ばっさりと切りそろえられた短い髪に手を伸ばし。

私は、そうして、柔らかい髪を撫でた。




誰だろう。この人。
えっと、何となく心の中に“私は、そうして、柔らかい髪を撫でた”という一文が浮かんで、書いてみたくなりました。
“私”は知り合いのお姉さんと言うことで。もちろん“彼女”は響谷薫です。



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