邂逅 前




モザンビーク
正式国名、モザンビーク共和国。首都マプート。
人口万人、面積802千平方km。
主な2,289万人 民族、マクア族・ロムウェ族など。
主な宗教、キリスト教41% イスラム教17.8% 原始宗教など。
主な言語はポルトガル語。

フランス
正式国名、フランス共和国。首都パリ。
人口6,503万人、面積554千平方km。
主な民族、フランス系民族93.5%。
主な宗教、キリスト教ローマカトリック76%。
主な言語はフランス語。

日本
正式国名、日本国。首都東京。
人口12,466万人、面積378千平方km。
主な民族、日本系民族99.3%。
主な宗教、仏教61%・新宗教・神道・キリスト教など。
主な言語は日本語。






「リリ、どこに行くの?」
大学の友人が声を掛けてきた。いつもは勉強一筋のリリが、今日は授業を抜けてどこかに
行こうとしていたからだ。
しかも、今日の格好はいつものリリにしては女らしい。
「大切なトコ!」
ぶんぶんと手を振って、リリは大学を飛び出す………前にトイレに飛び込む。
汚いトイレの片隅でリリは、髪飾りを確かめる。
丹念に編み込んだ真っ黒い髪の毛。ちりちりの天パの髪を昨日、編みなおした。

……よしっ!

なけなしのお金で手に入れた髪飾りが自分に似合っているのを確認すると、リリは少し
嬉しくなって、元気良く埃の舞う街へ駆け出した。


今日は大切な日だった。
リリを助けてくれたあの人が、戻ってくる。神様みたいに、綺麗だった。
セレモニーなんて興味なかった。裕福な人のために、裕福な国からもらったお金で建てられた、
真っ白のビルなんて、見たくもなかった。
みんなまだまだ頑張っているのに。日々、生きていくことさえ大変なのに。
それなのにあんな立派な建物なんていらない。リリはそう思っていた。
けれどそのお金は大切なあの人のお金だった。大切なあの人は、この国のことを忘れずに
寄付してくれた大切なお金。お金の使い道を間違ったのは、馬鹿なこの国の役人。
出来上がったビルの前では、セレモニーが行われる。
彼が、来る。神様みたいに綺麗な、あの人が。だからリリは大学を抜け出してやってきた。
彼の姿は、一番前で見たいから。
あの時、あたしを助けてくれた大切な彼の姿だから。













思い出す、喧騒の日々。
皆、怖い顔をしていた。必死に生きていた、あの頃。
彼と初めて会った日、あたしは反政府ゲリラに追われていた。
ちょうど10年前、まだ9歳だった。

両親と姉と、二人の弟は内戦で死んだ。
あたし一人が助かった。助かったことが良かったのかどうか、ひとり取り残されたこの世は
、銃声と悲鳴が飛び交う混沌とした場所だった。
反政府ゲリラに石を投げて、追われていた。
悪いことはいっぱいやった。盗みの常習だった。けれど生きていくためにはそうするしかなくて。
石を投げるのは、政府軍でも反政府ゲリラでも、本当は良かった。
武装して政府を襲ったゲリラ。武力で対応するしかなかった政府軍。どちらもあたし達の生活を
苦しめるだけだったから。けれど、あたしの家族を奪ったのは反政府ゲリラの投げた手榴弾
だったから。だから反政府ゲリラに石を投げてやった。
投げた石は、そこにいた兵士の頭にぶつかった。
頭から血を流して、兵士は倒れた。怖くなって逃げ様としたとき、ドラム缶を落として仲間に
気付かれた。必死に逃げても追いかけて来て、殺されると思った。
死ぬのはそれほど怖くはなかった。でも、あいつらに殺されるのだけは嫌だった。
街を必死に走り抜けた。


誰かが誰かに追いかけられるなんて、日常茶飯事で、誰も助けてくれ様とはしなかった。
どこをどう走ったのかも憶えてなかったけれど、あたしはある敷地内に迷い込んだ。
建物の表側にはテントと人のざわめきが感じられる。
あたしのたどりついた建物の裏手は、不思議なくらいに静かだった。
こじんまりとして、でもどこも壊れていない綺麗な建物だった。
ところどころの窓からは明かりが漏れる。ちゃんと天井から灯されてる、明かり。
くやしかったのを憶えてる。
地を這いずり回って生きている人間がいるのに、こんな立派な家で暖かい光に包まれて
暮らしてる人間がいるなんて、不公平だ。
『おいっ!いたぞ、あそこだ。ひっつかまえろっ』
建物を眺めていたら、見つかった。
壁際まで追い詰められて、あたしは目を瞑った。
あぁ、あたしも死んじゃうんだ。
お父さんとお母さんにお姉ちゃんと弟達を奪ったこいつらに、あたしも殺されちゃうんだ。
そう思った。

けど、いつまで経っても、何も起こらなかった。
殴られもしなかったし、撃たれもしなかった。
おそるおそる眼を開けると、追いかけて来た兵士達全員のこめかみに、ぴたりと銃口が
向けられていた。
向けていたのは、黒人の兵士達と一人の白人。
『この敷地内で暴力行為は許さない。撃たれたくなかったら立ち去れ』
冷ややかな声が響いた。澄んだ、高い声だった。
振りかえろうとしたゲリラ兵士にさらに銃を押し付けながらさらに告げた。
『動くな。イエスかノーか。立ち去るなら門までお送りしよう。……歩けっ!』
白人の声だった。薄茶色に汚れた町中にあって、彼だけが真っ白に輝いてた。
毅然とした態度で、その白人はゲリラ兵を追い払った。
……助かった。
そう思うと、体中から力が抜けた。

『大丈夫か』
ほうけて座り込んでいた私を抱き上げて、瞳を覗きこんでさっきの白人が言った。
あたし達の着ている服は、埃と土にまみれて茶色に汚れていたし、建物も何もかもが
薄汚れていた中で、その白人は透き通るように白くて肩の上で揺れる髪は眩しいほどだった。
『金持ちなんか嫌い。離してよ』
『離さない。大丈夫、怪我を治してあげる。おなかが減ってるだろう?表へ行こう。今は
炊き出しの時間だよ』
『離してよ、あんたみたいな偽善者なんて大嫌い!!』
暴れてもその白人の力は強くて、あたしを放そうとしなかった。

『偽善でも、いいんだ。この国の子供全員を助けられなくても、お前を助けることだってできる』

いつものあたしなら、助けてなんて頼んでないと、言っていたかもしれない。
なのにそのときだけは言い返すことができなかった。あまりにも綺麗過ぎた。
横から黒い手が伸びて、あたしを白人の手から抱き取った。
痩せた女性で引きずった足は義足だった。でもとても優しい顔つきだった。
『ラン、炊き出しではなく、こちらの食堂に連れていっておあげ』
『よろしいのですか?シャルル様』
『構わない。私も着替えたら行くよ』


星みたいに綺麗に光ってる髪を揺らして、白人は廊下の角を曲がって、見えなくなった。
『行きましょう。お名前は?』
仲間だと思った。同じ黒人で、同じに痩せて、怪我もしてた。同じ戦争の犠牲者。
『リリ』
『かわいらしい名前。私はねラン。よろしくねリリ』
できの悪い義足のためにバランスを取るのに苦労しながら、ランはあたしを下ろして、変わりに
手をつないだ。ゆっくり歩いたのは、子供のあたしに合わせていたのか義足のためか、
今となってはわからない。
『リリ、シャルル様はねお優しいのよ。ここにいる人間はみんな、シャルル様に感謝しているのよ』
『嫌よ。あんな真っ白の手も顔も、苦労なんてしたことないのよ。こんな立派な家に住んで…。
いいことしてるって思いこんでる偽善者だわ』
するとランは足を止めてあたしの前にひざをついて、視線を合わせて教えてくれた。
『偽善者なんかではないのよ。シャルル様はね、誘拐されたの。シャルル様も犠牲者なのよ』
『ゆう、かい?何の為に?』
『シャルル様はね、リリ。フランス人なの。お医者様でとても裕福なお家の人間で、だから
レナモがヨーロッパから援助を受けるために誘拐してきたのよ……』

その日、テーブルの上に並んだ食事は、炊き出しのものとそんなには変わらなかった。
それでも暖かくて汚れた町の片隅で食べるのとは比べ物にならないくらい美味しく感じた。
あまりに穏やかな時間で、あたしは食事の後眠ってしまった。
気が付いたのは何かを叩くような激しい音だった。
あたしは恐怖ですぐに目がさめた。あたしが身体を起こすと、シャルルがドアを開けるところ
だった。
『シャルル様、子供が痙攣を起こして……』
『今行く』
そう言って、部屋の片隅に掛けてあった白衣をとり、あたしに笑いかけた。
『大丈夫だよ、リリ。安心して寝ておいで』
あたしが眠っていたのはふかふかのベッドだった。そんなベッドで眠ったのは何年振りだろうか、気持ちが良かった。傍には二人がけの木の椅子があって、シャルルはそこで眠っていたよう
だった。
なんだか気になって、そっとシャルルの後を追った。
シャルルは足早に正面の方に向かった。正面の方は、今日ご飯を食べた食堂や、
今眠っていた部屋の周辺とは違って混沌としていた。
部屋の出入口には扉の変わりにカーテンが取り付けられていた。
そのうちの一つが開けられていて、明かりが灯されていた。そっと覗きこむと、中は
病院のようにベッドが並べられていた。窓に近いベッドの傍にシャルルとシャルルを呼びに来た
女性がいた。
事態はよくわからなかったけれど、危険な状態だということが見てとれた。
シャルルの声はよく通る。一生懸命、女性に指示をしながら手当てをしていた。
ずっとその様子を見ていた。

しばらくすると、シャルルの声は止み、その手も止まった。
あ、駄目だったんだって直感でわかった。
何度も見てきた光景だ。そばにいる家族だけが泣きわめいて、他人は誰も手を貸さず、
息絶えていく。
見なれた光景だ。
シャルルは、布団を掛けなおすと静かに十字を切って祈った。
とても綺麗だった。


やがてシャルルがベッドを離れ、あたしは慌てて部屋に戻ろうとしたけれど、どうやってここまで
来たか憶えておらず、少し離れたところでシャルルがあたしを見つけた。
『見ていたのか?』
答えないあたしに向かってシャルルは微笑み、抱き上げた。それは最初に見たシャルルと
違って、涙が出るくらい哀しい笑みだった。
『リリの言うことは間違っていないさ。私はあんな小さな命一つ、救うことができない。
栄養失調で死んでいく子供を毎日、見送らなければならない。この国の人全てに行き渡る
食料を用意することもできずに、手をこまねいているだけさ』
ブルーグレーの瞳がとても綺麗で。
『偽善なんかじゃない。この国の人間は、誰も平気で人を殺す。他人の死を哀しむことを
忘れてしまった』
『この国の人間は、誰も純粋で美しい。兵器をもたらしたほうが悪い。……眠ろう、リリ』
『泣かないで、シャルル』
『私には泣くことなんて許されていない』
涙は流れていなかったけれど、シャルルは泣いているように見えた。
部屋に戻ってしばらくすると、ランがお水を持ってきてくれた。
『シャルル様、具合がお悪いのではないですか?』
水の入ったグラスを渡そうとして、ランはそう言った。
『いや、なんともない。大丈夫だ』
シャルルはそう言ったけれど、ふっと瞳を閉じて床に膝を付いた。
『シャルル様!?』
ランがシャルルの傍に腰を下ろした。気になって、あたしも傍に行った。
『熱が、シャルル様…、どうされたのですか?』
触れたシャルルの頬は熱かった。ランはあたしに持っていたグラスを預けると、ベッドに
付きそう。
『大丈夫だよ、ラン。すこし疲れただけだ。すぐに治る』
『けれど、シャルル様……』
『大丈夫だよ、ラン、風邪が移るといけないからリリを預かってくれないか?』
ランはシャルルのことをよく理解していた。聡明な女性だった。
自分ごときが何を言おうと、シャルルの考えや行動を制御することなど出来ようはずもない。
だからランはいつもシャルルの言葉に従う。
『わかりました、シャルル様。どうぞ無理をなさらないように』
『いや、あたしはここにいたい』
『リリ、明日また会おう』
シャルルの声はやっぱり優しくて、あたしは言うことを聞くしかなかった。


翌日、顔色は少し悪かったけれどシャルルの熱は平熱に近付いていた。
『薬をね、飲んだんだ。自分だけと、またリリに嫌われるかな?』
顔を合わせたシャルルは、そんなふうに言った。
『言わないよ』
『いいこだ。リリ、ランを手伝っておやり』
ランは朝からよく働いていた。あたしも真似をして一生懸命手伝った。

シャルルはあたし達に優しく、あたし達は白人に対する偏見を無くした。
白人はみんな意地悪だと思っていた。


あたしはそうして、しばらくの間、そこにいた。
それはほんのちょっとした足の傷口が治るまでの間だった。
あたしの傷は、舐めておけば治る程度だった。
傷口がすっかり治ると、あたしはそこを出た。あたしみたいな人間は沢山いて、あたし以上に
傷ついた人間はもっと沢山いた。
一人で生きていける人間は一人で生きていくしかない。
小さな怪我をすると、またシャルルに会いに行ったけれど、しばらくするとシャルルはフランスに
帰ってしまった。
あたしはシャルルのことが大好きだったから、とても悲しかったけれど、ランが最初に言った
通りに、シャルルは一生懸命働きすぎていて、どんどん痩せていって、顔色も悪かったから、
その方がいいと思った。

ただ、もう一生会えないかもしれないと思うと、ひどく寂しかった。





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