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〜2、彼女とあたし〜
あたしの名前は牧野晴留香。 中学のバスケ部で部長をしている。もう中3で引退が迫っている。 体を動かしているほうが好きで、勉強はそれほどでもない。 「おつかれさまー」 声を掛けながら体育館に入ると、こんにちは、といつも通り大きな声で一年生の 部員たちが挨拶をしてくれる。 バスケ部の開始時間は、16:00に決めてある。 もっと早い部もあるけど、時間に間に合わせるために、ダッシュで駆けつける子が いるので、バスケ部は余裕をもたせてある。 けど、だれもダラダラしているわけで、時間前に体育館に入って体を動かしている。 この時間は、一年生だってコートやボールを自由に使える。 あたしはこの部の方針に自信をもっている。新入部員が多い割には辞める子も 少ないし、けが人だって出したことがない。 あたしはストレッチの相手を探して、響谷薫を見つけた。 薫は1コ下の2年生だ。 薫は小学生の頃からものすごく運動能力が高くて、実はどの部の狙っていた。 中学に入学してくると、みんな薫が見学に来るのを待っていた。 4月いっぱいは自由にどの部にも出入りして見学できるので、見学に来たら 引っ張り込もうと計画を立てていたのだ。 けど結局薫は見学にも来ず、どの部にも入らなかった。 5月も末になってそれがわかると、各部は今度は一生懸命に薫を誘った。 最初は薫ははぐらかしてばかりいたと言う。その時は私も2年で、詳しい状況は わからないんだけど、どうも部活に入りたくなさそうだったらしい。 なんだかんだ言って、結局、曖昧な答えしか返ってこなかった。 そのうちに夏休みに入って、各部も一旦諦めるしかなくなったんだけど、休み明けに なると突然薫の態度が変わったらしい。 『あたしが、入りたいって思える部なら考えてもいい』 その一言で、各部も方向転換。頼む方向から、釣るっていったらおかしいけど、 作戦練って、他の部とも話し合ったりしてた。 結局、すぐに3年の引退時期に重なって、振り出し。 あたしの代になって、もう一度話し合ったり、直接薫を勧誘したりして、なんでか薫は バスケ部に入ってくれた。 決まったのは、6月。もう新入部員を迎えた後だった。 今でも、薫がなぜバスケ部を選んだかは定かじゃないの。 「おはよ、薫。ストレッチの相手してよ」 「おはよう。いいよ」 「薫は今週の金曜は出られる日だっけ?」 「悪い、今週は無理だ。来週はOKで次は2週連続ダメかな」 薫はバイオリンを習っていて、信じられないが全国コンクールで入賞したり、 オーケストラと共演したりするほどの腕前で、部活はよく休む。 もともと争奪合戦やってたときから、薫のただ一つの条件は、ヴァイオリンが優先で それを認めることだった。 あたしもピアノを習っているけど、火曜の19:00から30分。 でも、薫は水曜にレッスンがあるほかにも、なんだか偉い教授に付いてるらしくて そのレッスンは時間が決まってない。 「ふーん…。今週の金曜、紅白戦やるから来てほしかったんだけど…。全くムリ?」 「レッスン、16:30なんでかぶる。ごめん」 「いや、仕方ないね」 「コンクールが近いんだ。だから手が抜けなくてね」 「コンクールッ!?たまにあんたがすごいってこと、思い出すわ」 びっくりして大きな声を出すと、薫はにやりと笑った。 「悪いね、たまにじゃなくていつも、すごいんだ」 あまりに自信がある態度に呆れて、薫の顔を見返して、ふっと違和感を感じた。 もともと透けてしまいそうなほど、白くて綺麗な肌なんだけど、今日は血の気が全く 感じられない。顔色が良くない。 「ねぇ、薫?今日、体調悪いんじゃない?」 「なんで?」 本人は全く気にする素振りはない。 「ん…?だって顔色、悪いよ」 「ふーん、そう。寝不足だからそのせいじゃないか?」 口ぶりは軽くて、あたしは受け流してしまった。 「そうなんだ。じゃ大丈夫だね。…でも気分悪かったら、いいなよ?あんた意外と体が 弱いからね」 去年、まだ薫の争奪戦を繰り広げてた最中に薫は学校を休んだ。 1週間近くも風邪で休んでて、印象に残ってる。殺しても死にそうにない見た目よりか は、弱いらしい。 「心配してくれるの?嬉しいね」 真剣に心配してたのに、薫はふっと甘やかな微笑を浮かべると、至近距離から 覗き込むように見つめる。 息が掛かりそうなほど、間近から。 年下の同性相手とは言え、中学生にはとても見えない端整で大人っぽい顔立ちで、気だるげな三白眼が色っぽい。 思わず、顔が熱くなるのを感じた。 「かわいいね、晴留香ちゃん。照れてるのかい?」 からかいの色を含んで、パチンとウィンクした。 遊ばれて、あたしはむっとした。薫のことは好きだけど、後輩にからかわれて そのままって訳にもいかないじゃない。 「あんたね!たまにはあたしが年上だってこと、思い出しながら行動してよね。 からかうのも程ほどにしとかないと、怒るよ!」 「はいはい」 完全にバカにした様子で立ち上がると、近くの籠からボールを出してきて、ゆっくりと ドリブルを始めた。 視線はまっすぐにあたしを見てるのに、ボールは吸い付くように薫の手に戻ってくる。 そういうところは、やっぱりすごいなぁ、って思うの。 クラブの最中は一生懸命練習してるけど、なにせ休みがち。それでも、あれだけ できるのって、才能だと思うんだけどな。 ちゃんと練習したら、バスケの名門校にだって、スポーツ推薦で入れると思う。 「晴留香、ゲームしようぜ。あたしから、ボールとってゴールできたら、謝ってやるよ」 まだ瞳にはからかいの色が残っている。 「あんたには、あたしがただの先輩じゃなくて、バスケ部の部長だってことをまず 思い出してもらわないとダメだったね」 体はもう、温まっている。いつでも動ける状態だ。 薫はゆっくりと右手でボールをつきながら、嘲笑に口元をゆがめて肩をすくめた。 あたしは、一度大きく伸びをした。 途端に、薫の動きは早くなっていた。 ぴったりと張り付いても、手を出す隙さえ見つからない。 手を出そうとすると、もう別の方向へ体を向かわせている。悔しいくらいにセンスが いい。 薫を見上げると、まだ笑っている。 目が合った瞬間に、薫の左手からボールは右手に動かされていた。 あたしの動きを読んで手出しをさせない。 二人のゲームに、部員の視線が集まるのを感じていた。 そのとき、薫の視線が一瞬だけゴールへ向かった。 その瞬間に、あたしは薫からボールを奪った。 ポジションも最高。あと少しでゴールしたまで持っていける。 自然と顔が緩んで、薫が小さく舌打ちしたのが聞こえた。 注意深くボールを運ぶ。 ゴールを外したら、確実にボールは薫に渡ってしまう。身長もジャンプ力でも叶わない。 ぴったりと薫ははりついて、なかなかゴールに近寄らせてくれない。 息も結構上がってきた。 一旦、動くのを諦めて、ドリブルを続けて薫の気配をうかがう。 でも、隙ができるのはこういうときで、動こうと思った瞬間にもうボールは薫の手中に あって、そのまま素早く身をかわして、完璧なフォームで薫はゴールを決めた。 「あぁ……」 知らず知らずに、ため息をついていた。 悔しかったので、あたしはボールを拾い叫んだ。 「薫、もう1ゲーム!」 振返って、そこで異変に気づいた。 シュートしたその場所で、薫は立ち尽くしていた。拳に握った左手を胸に押さえつける ようにして。 「どうした?薫」 肩に手を掛けて覗き込むと、その顔色は真っ青で喘ぐような息をしている。 「どうしたの!?」 首を横に振って、薫は何か呟いたけれど、聞き取れなかった。 ぎゅっと眉根が寄せられて、見ているだけでも辛そう。 「ねぇ、誰か顧問呼んできて!早く!」 1年生が慌てて体育館を飛び出していくのを見届けて、戻した視線の先で薫が膝を 付くようにして倒れこんだ。 「っ!薫!?しっかりしてよ!」 |