常夜
「薫様っ!?」 シャルルの腕にぐったりと抱えられた薫を見て、エロイーズは声をあげた。 シャルルは、薫を抱えたまま片目を細めて人差し指を立てた。 久しぶりに眠っていたのだ、彼女は。 美しい顔で、シャルルの優しい腕の中で。 車が動いて、5分もしないうちに彼女は眠りはじめた。 青ざめた顔で、それでも穏やかに彼女は眠りに引きこまれて行った。 本当に久しぶりのことだった。 シャルルに体を預けて眠る彼女に、シャルルはそれまでの苛立ちが収まるのを感じていた。 今日の出来事が、彼女にとってプラスになるのなら、どれほどの面倒も引き受ける。 それが責任だ。彼女をこの世へとどめてしまった自分の。 ベッドの中で体を伸ばして眠りつづける薫。 今はどんな夢をみているだろうか……。 軽い寝息が、頬に掛かる髪を規則的に揺らす。 無音の空間に扉をノックする音がした。 音を立てないようにして、扉に歩み寄りそっと開いた。 隙間からイツキの明るい髪が見え、シャルルは大きく扉を開いた。 イツキは音を立てないように部屋へ入り、手にしていた小さなトレーを少し持ち上げて、パチンとウィンクをした。 薫の寝室に入り、シャルルにホットワインを勧めた。カップを取って一口含むと、深いワインの味と、微かに感じる蜂蜜の 甘味が広がる。 「へぇ、ホントによく眠っているね。子供みたいだ」 「起こすなよ。姫は眠りが浅いんだ。起きたら、次の眠りはまたいつやってくるかもわからない」 疲れた体を癒す、葡萄酒の香り。大きく息を吐きながらシャルルは言った。 イツキは、微笑みながら傍の椅子に腰掛ける。 「大丈夫だよ、穏やかな顔で寝てるじゃないか……」 熱いワインを口に含んでシャルルは顔をしかめる。 「全く、呑気なものだ。どれだけ、自分が迷惑を掛けたと思っているのか」 そう言うシャルルの瞳はどことなく、優しい。 「……君も、手伝ってくれたんだって?悪かったね」 「いいさ。無事に見つかって良かったよ」 イツキもまた穏やかな顔つきで言った。 香り立つワインを手に、二人はしばし眠る薫を見守っていた。 「……ん……」 ひどく、長い時間を眠っていた気がする。 目覚めて、ぼんやりと寝ぼけた頭で考えた。 薫は体を起こそうとして、ベッドに臥せている人物に気が付く。 彼もまた、眠っていた。 癖のない髪がシーツに散らばり、光を反射させている。 薫はまだ眠ったままのシャルルにそっと、ショールを羽織らせる。 起こさないようにベッドから出ようとした時、シャルルが身じろぎする。 薫は動きを止める。 長い睫毛が震えて、気品ある青灰の瞳が現れる。 眠りから覚めきらない様子で、シャルルはそっと首を振る。 さらさらと音を立てて、癖の無いプラチナの髪が肩から零れ落ちる。 「起こした?」 遠慮がちな声で、薫は言った。細い指で髪をかきあげて、シャルルは否定する。 「いや、大丈夫だ。お前も起きていたのか?」 「今…」 微かに頷きながら、シャルルは時計を見た。既に針は、11時を指していた。 ホッと息をついてシャルルは首をまわした。電話でエロイーズを呼び出し、朝食を手配する。 「今朝は、食べられるだろう?」 首を傾げるようにして、シャルルは薫を見つめた。 少し怯えるような瞳でシャルルを見つめたまま、薫は返事をしなかった。 やがて、二人分の朝食が用意される。 ベッドのスタンドの上には、果物など食べやすいものが用意される。 薫は、フォークを手にしてきれいにカットされたフルーツを口元まで持っていく。 それでも、どうしてもその先に進まなかった。 お腹が空いていないわけではないのに、喉がつまったように受け付けない。 見ていると、だんだん気分が悪くなるのだ。 少し涙目になっている薫を見て、シャルルは溜息をついた。 ベッドの端に腰を掛けて、シャルルは優しい手つきで薫の握り締めているフォークを取る。 戸惑ったように、薫はシャルルを仰ぐ。 どこまでも澄んだ青灰の瞳には穏やかで優しい光が宿っている。 大きく腰をひねるようにしてシャルルは右腕を伸ばして、薫の肩を抱き寄せる。 「大丈夫だよ、食べられる」 子供をあやすような声でつぶやく。ままごとのような魔法。 シャルルはそっと薫の口元にイチゴを運ぶ。 イヤそうにシャルルを見て、それでもシャルルは促すように薫の口元へ近づける。 薫は、小さく口をあけて食べる。芳しい香りが口一杯に広がった。 「いい子だ」 透明な声が、耳元で囁く。心地よく響く声。 薫は甘えるように、シャルルに体を持たせかける。 長い睫毛の影を宿した瞳が、薫を見下ろす。 「ほら、もう少し」 無理強いはせずに、薫のペースに合わせて、ずっとシャルルは食べさせた。 何もかもが、元に戻れる日が早く来るといい。 |