哀しみの道



その日、レポートの資料を探しにアルディ家の図書室にやってきた彼は考えもしなかった形で、旧知の人物に再会した。

司書でもめったに立ち寄らない一角。
高い書架に、阻まれて監視カメラの届かない位置だった。
「おいっ!?」
本を見る間もなく、彼の目は床に倒れている女性へと向いた。
「しっかりして、大丈夫か?」
長身の痩せた女性を抱え上げて、しかし彼の動きはそこで止まった。
それは、彼の知っている人物だった。ここにいる理由の全く説明の付かない女性。
いや、今は理由など必要ではない。
右腕に彼女を抱えたまま、彼は携帯電話を操作する。めったな事では掛けてはならないナンバーだったが……。


彼から電話を受けて、シャルルは仕方なく執務室から出てきた。
丁度、昼食の時間で仕事にキリが着いたところだったからだ。シャルルが出て行かなければならない事態でないことは
知っていた。おおかた、めまいか貧血でも起こしただけだろう。
当然だ。眠らないし、食事もとらない。睡眠導入剤を使用して点滴で栄養を補充したって、限界がある。倒れたって、当然だ。
彼が亡くなってから、程なく3週間が経つ。
最初の1週間は、ずっと微熱が出たままだった。
それは、雨に濡れたためというよりは、精神的なものだと思われた。
拒絶反応、とでも呼ぶべきか……。


シャルルが薫の部屋へ入るのと、奥の寝室からカトリーヌが出てくるのが
同時だった。中央に据えられたソファには、薫を運びシャルルを呼んだ張本人。
「どうだ?」
端的にカトリーヌに尋ねる。
「ただの貧血だと思われます。もう気が付いていらっしゃいます」
頷いて、下がるように命じる。もう一人の人物には待っているように指示して寝室の中へと姿を消す。
 

「いつまで、そうしているつもりだ?」
ベッドの中に横たわり、背を向けたまま薫からの返答はない。
「こちらを向け。」
枕元に立ち、そう呼びかけても薫は無視する。
頑なな態度にシャルルは苛立ち、乱暴に薫の両腕を掴むと無理矢理身体を起こさせる。薫は抵抗しようとしたが、シャルルの
力は強かった。掴まれた部分に痛みが走る。
「何するの!?」
「いつまで、そうやって甘えている?そうやって、現実を受容れずに甘えていれば誰かが助けてくれると、思っているか?それとも、
時間が解決してくれるとでも?……馬鹿もここまでいくとあきれるね」
薫の右手がシャルルの頬を打とうとし、とっさにあげたシャルルの腕にあたり、音を立てた。
「私を殴って気が済むのなら、いくらでも殴ればいい。ただし、何の解決にもならないことくらい、お前が一番知っているはずだ」
青く澄んだ三白眼に力を込めて、シャルルを睨む。
「彼が、最後に何と言った?そうやって、自分の死を嘆いてくれと言ったか?考えろ、彼が何を望んでいたか。何を思って、
自らの命を絶ったか!!わからないなら、一生そうしていろ」 
「残された者は!!そうやって、彼の人生を、考えを全て受け入れろと!?押し付けだわ……。一人で、最期まで一人で……。
それを、いつも私は、受け入れなければならないの!?捕らわれるなだって?自分の死に?無茶を言わないでっ」
赤く充血した瞳。溜まった涙を零すまいと、瞳に力を入れてシャルルを睨みつける。

悲痛な叫び。
見ているほうが、辛くなる。
それでも、彼女は生きていかなければならないのだから。

「生きることを、選んだのだろう?彼の望むとおりに、残ることを決めたんだろう?それで、生きているって言えるのか?
よく、考えろ」
「出て行って、いいから出て行ってよ!!」
涙を流しながら、彼女は大声で怒鳴りつけた。

 
外で待っていた彼は、寝室から漏れた大声に、思わず寝室へ飛び込んだ。
彼の中で、薫はもっと皮肉げで斜に構えていて、そんなヒステリックな叫びをあげるような性格ではなかったからだ。
新たに部屋へ入ってきた人物を認めると、薫は今までの怒りも忘れて唖然とした。
「…なんで……?」
それしか、言えなかった。
「オレが、図書室で倒れてるのを見つけたんだ。オレもビックリしたよ。……久しぶり、薫」
薫は、反応が返せず、シャルルを仰いだ。
「彼と、彼の妹をアルディ家で預かっている。彼は、ここからパリ大に通っているんだ。君と似たようなものさ。芹沢家と
アルディ家は知り合いでね」
「そう言うこと。薫、無理しちゃダメだぜ。随分女らしくなったようだけど、中身は昔のまんまだね」
茶目っ気たっぷりに、彼はウィンクする。
大声に、どんなことになってるかと思ったが、心配はないようだ。
薫の事だから、シャルルを殴り飛ばしたかと、彼は思っていたのだ。
大きな瞳にいっぱい涙を溜めて、それでも彼の嫌味にむっとして睨みつける。
彼は、にっこり笑って、大きな手で涙をぬぐってやる。
「馬鹿だな、何を泣いてるんだ?笑えよ、せっかくの再会なのに、淋しいじゃないか」
無理に薫は笑顔を作る。
イツキは、引きつった笑顔に苦笑しながらポンと薫の頭を叩いた。
「オレは忙しいからもう行くよ。また、ゆっくり話そう」




「知り合いだったとはね、私も今まで知らなかった」
彼の姿を見送って、ふっと、笑ってシャルルは言った。いい具合に、場の雰囲気を変える。
彼らしいやりかただ。
「私も行く。ただの貧血だから、しばらく休んだら動いてもいい。ただし、ちゃんと食べて眠ること。いいね?……わかっている
だろうから、これ以上は何も言わない。自分で考えるんだ」
最後に、もう一度だけシャルルは忠告を与えた。自分の進む道は自分で決めるしかない。
どんなに辛くても。
 

部屋から出ると、そこでイツキが待っていた。
「どう?」
「大丈夫さ。しかし、君らが知り合いだったとは」
「まぁね。っと、シャルル、瑞樹には教えるなよ」
「なぜ?」

「オレは、結構小さい時から薫のことを知ってるんだ。
薫のいとこは、青淋に通ってもいたし……。まぁ、小さい頃は結構かわいくてね、妹みたいに思ってたんだ。けど、瑞樹はオレと
違ってかなり大きくなってから薫と会ってるんだ。そしたらさ、瑞樹と違って薫は当時から、大人びて、なんでも我慢するんだよ。
するとさ、美人だし、周りが瑞樹より薫をかわいがってさ……」
困ったように、イツキは口を閉ざす。
シャルルは冷めた笑いを浮かべる。
「今更、瑞樹が何をしでかしたか聞いたって、驚かないよ」
首を傾げて、イツキはシャルルを見た。
「薫がちやほやされてるのが、ずっと瑞樹は気に入らなかった。何度か意地悪をしたこともあったみたいだった。薫は気にして
なかったんだけど、薫が心臓病だってわかって、すぐの頃だったかな……」
顔をしかめて、イツキは天井を仰いだ。

「うちのパーティーに来たとき、発作を起こしたんだ。人に見られるのが嫌だったんだな、出入り口の近くにいたからさ。オレが
支えて外へ連れて行ったんだよ。それをさ、……運悪く、瑞樹が見てたんだ。そしたら、瑞樹ときたらさ。
『お兄ちゃんにさわんないでよ!』って、思いっきり、薫をつきとばしたんだぜ?」
呆れたように言って、イツキはシャルルの様子を伺う。
シャルルはそれ以上聞きたくないといったふうに、首を振ったがイツキは続けた。
「その衝撃で、薫がニトロだっけ?喉に詰らせて…。救急車が出るわの大騒ぎになったんだ。薫もさ、かなり苦しかった
みたいでさ、それ以降瑞樹の傍に寄らないんだ。当たり前と言えば、そうなんだけど」
「呆れてものが言えないね」
うんざりしたようにシャルルは言った。
「だから、瑞樹とは会わせないでくれ。薫がさ、またストレスを溜めこむとダメだからね」

「覚えておくよ、女同士の揉め事はやっかいだからね」

 




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